新地町の史跡

令和6年度新地町歴史講座が開催されました

2025年3月7日 10時55分

 令和7年3月1日(土)13:30から新地町文化交流センター観海ホールにて令和6年度新地町歴史講座が新地町教育委員会と新地町郷土史研究会の共催で開催されました。

 今年の歴史講座は、昨年7月に行われた遠藤新展の初日、パネリストとして参加していただいた井上祐一先生をお招きし、遠藤新-日記と評論に見る人物像-と題して行われました。

 はじめに、泉田晴平教育長(令和7年2月1日就任)から、遠藤新という郷土出身の大建築家が近代の三大建築家の一人であるフランク・ロイド・ライトの一番弟子であったことなどが紹介され、これからもこうした生涯学習、社会学習について、教育委員会として積極的に取り組んでいくとの挨拶がございました。

 教育長あいさつ2 教育長あいさつのようす

 続いて新地町郷土史研究会会長大須賀昇様より、井上祐一先生が神奈川大学で建築の勉強をされ、フランク・ロイド・ライトの日本における影響を研究するなかで、遠藤新の研究を行ってきたことなど講師の紹介がなされました。

会長 講師紹介大須賀会長による講師紹介

 歴史講座は、井上先生に作成頂いたパワーポイントの資料を元に一つ一つ井上先生の丁寧な解説つきで進められました。

【講話の内容】

○東京帝国大学卒業後に展開した建築の世界 大正期を駆け抜けた風雲児!?遠藤新

 遠藤は大正3年に帝大を卒業したのち、宮内省の明治神宮造営局に職をえて、競技設計に参加し、3等2席の成績で入選をしています。その時の気持ちを日記 に書き残しており、当時東京駅をめぐって問答があった辰野金吾氏より褒められたことや、競技設計への参加についての内省ともとれる心の声が記されていることを説明頂きました。

○さあアメリカへ『滞米日誌』と『舩中日記』

 続いて、遠藤のアメリカへ渡った時の日誌、日記をが紹介されました。大正7年10月24日から同年12月25日までのほぼ毎日の記録が紹介され、間違えて運ばれてきた食事を何も気にせずに平らげてしまったことや、ケープをオーダーメイドで発注したものの、仕上げが乱暴だとしつつも構いはしないと記しており書いていたり、精緻で緻密な設計をおこなう一方で、こうしたことには無頓着であったことや、「ビフテキが旨いから二つ喰った」など、意外な大食漢であったことなども伺えると説明されました。

 以後は、井上先生が調べた新聞や建築雑誌、遠藤新事務所所員が答えた話や逸話などを時代を追いかける形で6つの題を元に紹介がなされました。

○帰国後大正8(1919)年9月ホテル着工-帝国ホテル建設中のエピソード-

○ホテル完成披露宴パーティー目前に大正関東大地震起きる-関東大震災と社会福祉事業で遠藤が携わったバラック建築-

○中国北東部(旧満州)へ-「現場建築家」という遠藤の姿勢-

○久保貞二郎がタリアセンで聴いた話-遠藤新についてライトが語った話-

○戦後の作品を通して-病と闘う遠藤新-

○病床の遠藤新からのメッセージ

 講話では特に、晩年病床に伏しながらも、戦後の新教育体制のために学校建築の設計に命を尽くした姿勢は、遠藤が愛と情熱をもって建築に取り組んでいた様子が伺えるとしながらも、先にあげたアメリカでの日記なども振り返り、遠藤は「大きな器」「心配性」「お茶目」「照れ屋」「真面目」「慈父の様に優しい人」「謙遜の人」「面倒見がよい」「物事を俯瞰」「人懐っこい」「何事にも興味」「無口から雄弁へ」「なまけもの」「ウイットに富む」「天衣無縫」「豪傑」であったことが読み取れるとし、遠藤がいかに「人間らしく愛をもって人に接し、人から愛されてたか」との話をもって講座は結ばれ、盛況のうちに終わりました。

DSC_0475井上祐一先生

DSC_0477歴史講座のようす

DSC_0491歴史講座のようす

 このたびのレジュメについては、印刷した残部がまだ少量あります。ご希望の方は新地町教育委員会教育総務課(62-4477)までお問合せ頂くか、直接役場3階までご来庁ください。

歴史講座 井上祐一 遠藤新