新地町の史跡

史跡

新地町三村合併70周年記念事業 新地ゆかりの建築家「遠藤新」展を開催します

 7月12日(金)より17日(水)まで、6日間の日程で「遠藤新」展を行います。
 世界的建築家フランク・ロイド・ライト氏に師事し、帝国ホテル(ライト館)のチーフアシスタントを務め、ライトがアメリカに帰国した後も、ライトの提唱する有機的建築を実践し続け、自由学園や加地邸、甲子園ホテルなど数多くの作品を世に送り出した新地町出身の建築家、遠藤新氏。
 今回は、新地町に所蔵している遠藤新氏の作品や資料等を通して、彼の生涯を伝える展示会を開催します。

 【開催場所】新地町文化交流センター「観海ホール」

 【主催】新地町

 

《目玉イベント》

1.オープニングセレモニー及び展示解説

7月12日(金)午後1時30分より、オープンセレモニーを執り行います。
セレモニー終了後には、遠藤新の実孫である遠藤現氏による展示見どころ解説を行います。

 

2.ギャラリートーク

7月13日(土)午後2時から、建築家「遠藤新」について語るをテーマとして、ギャラリートークを行います。

 パネリスト
  遠藤現氏(一級建築士・U-HOUSE合同会社主宰)
  井上祐一氏(一級建築士・建築史家・神奈川大学非常勤講師)
  野村一郎氏(一級建築士・タリアセンアプレンティス)

 モデレーター
  福田竜氏(自由学園明日館館長)

 

3.くるめがすりの家見学ツアー

 7月14日(日)・15日(月)の2日間、午前10時30分、午後1時30分の1日2回、文化交流センター前から「くるめがすりの家」見学バスが出ます。そして、現地で、説明員がくるめがすりの家を解説・案内いたします。

 

 すべて入場無料です。皆さまのご来場をお待ちしております。

 

手長明神のアニメが完成しました!!

 

 鹿狼山に住むという手の長い神様。

 その神様が手を伸ばし貝を採って食べた。その食べた貝を捨てた場所。

 それが新地貝塚になった。

 こんな言い伝えが新地町では語り継がれています。

 

海の民話のまちプロジェクト

 一般社団法人日本昔ばなし協会が、日本財団海と日本プロジェクトの助成を受けて2018年から始動している企画です。

 海と深く関わりを持つ日本という国の「海とのつながり」と「地域の誇り」を子供たちに伝え、語り継ぐのを目的としてスタートしました。

 新地町の手長明神の伝説は、海とのつながりを色濃く残す伝説で、今回選定されました。およそ9か月をかけて完成したアニメは、手長明神の伝説(奥羽観蹟聞老志第4巻)を元に、海の町で暮らす父親である漁師とその息子がオリジナルキャラクターとして登場し、鹿狼山に住む老人の伝説を語り聞かせます。

 漁師にとっていかに鹿狼山が大切な存在であるか、愛嬌のある手長明神、おともの鹿と白い狼の話を交えながらわかりやすくアニメ化されています。

 

海の民話のまちプロジェクト

「鹿狼山の手長明神」QRコード

uminominwa.jp/animation/48/

 

 

 上記のQRコードを読み込んでいただければ、アニメをご覧いただけます。

 また、このプロジェクトが展開してい他地域の海に関わるアニメーションも視聴いただくことができます。この機会にぜひご視聴ださい。

令和5年度新地町歴史講座が開催されました

 新地町文化交流センター観海ホールにて、令和5年度歴史講座が開催されました。

 今回の歴史講座は、「幼少夢幻-画家志賀一男の幼少時代」と銘打ち、講師に新地ゆかりの画家である志賀一男先生をお招きして開催されました。

 志賀先生はこれまで多くの絵を描かれています。東日本大震災をテーマにした水彩画「3.11シリーズ」や版画、相馬野馬追のシリーズなど大作を発表しておられます。

 なかでも今回の表題にした幼少夢幻シリーズは、幼いころ新地町福田で過ごした幼少期の思い出がふんだんに作品に盛り込まれています。

 講演は、幼少夢幻シリーズを一枚一枚、正面のプロジェクターに映して、解説して頂きました。

 登場する少女は自分の幼少期であり、亡くなったご自身の娘さんを投影していることや、リス、フクロウなどの小動物、福寿草や野アザミなどの野草、祭りの日や七夕、春の訪れ、などいずれも福田で過ごした幼少期に自身がみた風景が元になっていることを丁寧に語っていただきました。

 講演終盤には、幼少時代の志賀先生を知っている方が名乗りをあげるなど、和やかな雰囲気で終了しました。

 講演のようす

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新地町では、昨年「新地町ゆかりの画家展」として志賀一男先生と坂元郁夫先生の絵を展示しました。令和6年度も新地町ゆかりの画家の作品を一堂に会し、展示会を行うよう計画しています。お楽しみにお待ちください。

第70回文化財防火デー防火訓練を実施しました

 令和6年1月27日(土)9時30分から駒ケ嶺地区子眉嶺神社にて、文化財防火訓練を実施しました。

  文化財防火デーは、昭和24年1月26日に奈良県の法隆寺金堂の壁画が焼損したことから、毎年1月26日を中心として、文化財の防火運動が行われるようになりました。
 この運動は、貴重な文化財を火災やその他の災害から守ることや文化財愛護の意識高揚を図るため毎年実施しており、今年で70回目を迎えます。

 

 訓練は、参加住民による「火事ぶれ」「通報」

 女性防火クラブによる「初期消火訓練」

 高田・菅谷・駒ケ嶺町・渋民消防団による「放水訓練」

 参加者全員で「消火器取り扱い訓練」

が行われました。

 消火器取り扱い訓練では、初期消火が、火災の延焼を防ぐ為に有効であることが説明され、子眉嶺神社関係者、女性防火クラブの方々は、真剣に取り組まれました。

訓練終了後、米本新地消防分署長より
「訓練は参加した皆さまの協力により、つつがなく終了しました。子眉嶺神社は、平安時代に造られた長い歴史をもつ文化財です。今後とも、地域の皆さまの協力のもと、まずは防火への意識を高めて頂きたい。」と講評がありました。


 新型コロナウイルス及びインフルエンザ感染防止につとめつつ、約65名の皆さまに参加いただき無事訓練を終えることができました。

 

放水訓練のようす
  消火器取り扱い訓練のようす

令和5年11月21日(火)の白幡のいちょう(さかさいちょう)

11月21日(火)8時頃の白幡のいちょう(さかさいちょう)です。

気温は9℃。

現在、「海と山と大空の新地アート」と題して、新地町内でスタンプラリー&フォトコンテストを開催しています。白幡のいちょうも対象スポットになっており、すでにご盛況を頂いております。

白幡のいちょうへ通じる道は、1車両分の道路幅しかなく、また見通しが悪い道路となっております。ご観覧の際は、皆さまのご協力をもって、安全運転を心がけ、お互いに譲り合っていただくようお願い致します。

 

 

令和5年度三貫地貝塚里帰り展示「三貫地貝塚の暮らしと縄文人」を開催します

 10月14日(土)より22日(日)まで、9日間の日程で三貫地貝塚里帰り展示を行います。

 昭和27年日本考古学協会により三貫地貝塚は初めて本格的な調査が行われ、出土した資料は長い期間、東京大学博物館に保管されていました。その後、昭和61年の福島県立博物館の開館にあわせて、福島県に委譲されることとなり、県立博物館にて保管、展示されています。

 今回は、福島県立博物館資料展示活用アウトリーチ事業を活用して、福島県立博物館との共催により「三貫地貝塚の暮らしと縄文人」と銘打って企画展を開催することとなりました。県立博物館から約100点、相馬高校郷土クラブが所蔵する資料を60点あまりを展示致します。

 目玉イベント

 その1 10月14日9時よりオープンセレモニーを執り行います。セレモニー終了後には

     福島県立博物館の専門学芸員 高橋 満 氏による特別展示解説を行います。

 その2 10月15日(日) 10月21日(土) 10月22日(日)の3日間、

     午後2時30分から山岡信貴監督によるドキュメンタリー映画「縄文にハマる人々」

     を特別上映致します。

 すべて入場無料です。席は250席、先着順とさせて頂きます。皆さまのご来場をお待ちしております。

 

 

令和5年度里帰り展示(仮称)について

福島県史跡の三貫地貝塚は、昭和27年に日本考古学協会、昭和29年に東京帝国大学文化人類学教室により2度の調査が行われています。縄文人骨は東京大学博物館、土器や石器は、福島県立博物館にぞれぞれ収蔵されています。

福島県立博物館では、新地町に限らず、福島県内の市町村から集められた資料がたくさん収蔵されています。県立博物館に郷土の資料を見に行きたいと思っても「会津若松市は遠くて見に行けない。」「そもそも郷土の資料があることを知らない。」そのような声に対応するために「アウトリーチ事業」を展開しています。

新地町ではこのアウトリーチ事業を活用し、10月中頃に「里帰り展(仮称)」を県立博物館との共催で計画しています。今後、博物館との打ち合わせを重ね、10月の開催を目指します。また、県立博物館以外にも、相馬高等学校の郷土クラブが新地町から出土した遺物を複数所有していますので、協力をお願いする予定でいます。

 福島県立博物館 収蔵庫の様子

 福島県立博物館 収蔵庫のようす。

 テン箱と呼ばれる専用のケースで保存されています。

  

 三貫寺貝塚出土遺物の一部            県立博物館 常設展示の一部

 

 

令和4年度新地町歴史講座を開催しました

 令和5年3月25日(土)新地町農村環境改善センター大集会室にて令和4年度新地町歴史講座が開催されました。

 講師には東北福祉大学の岡田清一名誉教授をお迎えし「境目の地・宇多郡の中世-新地蓑首城と駒ケ嶺城-」と題し、中世の宇多郡(相馬から宮城県亘理)がどのような様相をしており、そのなかで、特に相馬との境目となった新地町がどのような歴史を辿り、仙台伊達藩の藩領となっていったのかについて講義がなされました。

 なかでも町内に残存している新地蓑首城と駒ケ嶺城が、現在に至るまで当時の様相をそっくり残した状態で保存されていることに触れ、北側、すなわち伊達藩からの攻勢を意識して築城されている事が説明されました。

 伊達藩領になる前やその後についても、新地町について記載された信頼度の高い古文書などに資料は少ないながら、戦乱期の新地・相馬の情勢をわかりやすく解説頂きました。

受講生は70名を超え、皆、その当時の様子を思い浮かべながら興味深く講義に聞き入りました。

令和4年度新地町歴史講座を開催します

 令和5年3月25日(土)新地町教育委員会と新地町郷土史研究会の合同主催にて歴史講座を開催致します。

 講師には東北福祉大学名誉教授の岡田清一氏をお迎えし、中世時代の宇多郡について新地蓑首城と駒ヶ嶺城の視点を交え講演頂きます。

 題 目 「境目の地・宇多郡の中世 -新地蓑首城と駒ケ嶺城-」

 講 師 岡田 清一(東北福祉大学名誉教授)

 開催日 令和 5年 3月25日(土)

 場 所 新町農村環境改善センター 大集会室

 時 間 (開場)13:00

     (講演)13:30 終了予定時間は16:00を予定しています

 入場は無料です。皆さまお誘いあわせの上、ご参加ください。

 

東林寺にて第69回文化財防火デー防火訓練を実施しました

令和5年1月28日(土)9時15分から福田地区東林寺にて文化財防火訓練を実施しました。

 文化財防火デーは昭和24年1月26日奈良法隆寺金堂の壁画が焼失したことから、開催されるようになりました。
貴重な文化財を後世に守り、伝えていくために文化庁が指定しているもので、今年で69回目を迎えます。

訓練は、地域住民による「火事ぶれ」「通報」「初期消火訓練」
女性防火クラブによる「消火器取り扱い訓練」
沢口・鉄炮町・福田消防団による「放水訓練」が行われました。

消火器取り扱い訓練では、消火栓の場所が遠い場合等、初期消火が火災の延焼を防ぐ為にいかに有効であるか消防士から説明を受けた後、女性防火クラブ、地区住民の方々にも水消火器を用いた訓練に参加いただきました。

一連の訓練終了後、米本新地消防分署長より
「迅速で滞りなく訓練が進み、大変素晴らしかった。東林寺は、福田地区において皆さまが集まる場所としても大変重要な文化財ですから、防火につとめて頂きたい」と講評されました。


新型コロナウイルス感染防止につとめつつ、約40名の参加者により訓練は無事終了いたしました。


 放水訓練のようす

消火器取り扱い訓練のようす

第68回文化財防火デーに伴う防火訓練を行いました

1月22日(土)に文化財防火デーに伴う防火訓練を行いました。
文化財防火デーは昭和24年1月26日奈良法隆寺金堂が焼失したことから、開催されるようになりました。
貴重な文化財を後世に守り、伝えていくために文化庁が指定しているもので、68回目を迎えます。
今年は、作田地区磯山聖ヨハネ教会を対象に行いました。

訓練は、地域住民により「火事ぶれ」「通報」
女性消防隊により「初期消火」
消防団による「放水訓練」が行われました。

一連の訓練終了後、米本新地消防分署長より
「速やかに訓練が行われ、素晴らしい」と講評をいただきました。
また、東日本大震災前、教会が埓木崎の磯山地区の高台に所在しており、震災当日には避難場所となり、多くの人の命が助かったエピソードが紹介されました。再建された建物とは言え、こうした歴史的事実、物語を語り継いでいく為にも、日頃より防火に対する意識を高め、訓練を行うことが重要であると結ばれました。

昨年度同様、新型コロナウイルス感染予防のため、バケツリレー、重要物搬送訓練は中止、訓練項目が少ないなかでの訓練となりましたが、参加者は皆、真剣に取り組み、地域防災への意識を高めることができました。

 
初期消火(消火器取り扱い)訓練


放水訓練 写真右奥が磯山聖ヨハネ教会

第67回文化財防火デーに伴う防火訓練を行いました

1月23日(土)に文化財防火デーに伴う防火訓練を行いました。
文化財防火デーは昭和24年1月26日奈良法隆寺金堂が焼失したことから、開催されるようになりました。
貴重な文化財を後世に守り、伝えていくために文化庁が指定しているもので、今年で67回目を迎えます。
今年は、今泉地区塩釜神社、薬師堂を対象に行いました。

訓練は、地域住民により「火事ぶれ」「通報」
女性消防隊により「初期消火」
消防団による「放水訓練」「防水幕設置・放水訓練」が行われました。

一連の訓練終了後には、参加者を対象に水消火器の取り扱い講習を行い、教育総務課の担当者より災害時の文化財の取り扱いについて説明しました。

第67回文化財防火デーに伴う防火訓練は、新型コロナウイルス感染予防のため、バケツリレーは中止、その他訓練もソーシャルディスタンスを保つよう意識しながらの訓練となり、不自由ななかでの訓練となりましたが、参加者は皆、真剣に取り組み、地域防災への意識を高めることができました。

  

令和元年度新地町歴史講座の資料について

 今年度の歴史講座はコロナウイルスの感染拡大を防止するため、やむを得ず中止としましたのは、前出の記事の通りです。楽しみにしていた皆さまには大変申し訳ございませんでした。
 このたび、講師を依頼しておりました岡田清一様のご厚意により、当日使用する予定だった資料を送付頂きました。下記のリンクより取得いただけますのでご活用下さい。
 また、岡田氏が中世の南奥羽について書き綴った書籍が昨年10月に刊行されております。当時の相馬と新地も関係する亘理伊達についても書かれています。

令和元年度歴史講座資料1.pdf

令和元年度歴史講座資料2.pdf

令和元年度歴史講座追加資料.pdf

中世南奥羽の地域諸相.pdf
 

令和元年度新地町歴史講座 中止のお知らせ

今年は、東北福祉大学大学院嘱託教授の岡田清一様をお迎えし、2月29日(土)に開催を予定しておりましたが、昨今の新型コロナウイルスの感染拡大を予防するために、中止することとなりました。
楽しみにしていた皆さまには大変申し訳ございませんが、ご理解の上、感染予防にご協力いただくようお願い申し上げます。

第66回文化財防火デー

令和2年2月1日(土)第66回文化財防火デーが新地町大戸浜地区にて行われました。今回の対象建造物は大戸浜地区の観音堂。建立は古く江戸中期と伝わっています。訓練は地元住民、地元消防団を含め60名以上の方々に参加いただき、「火事ブレ」「通報」「初期消火(水消火器)」「初期消火(バケツリレー)」「放水」とつつがなく進行しました。

観音堂は大戸浜共同墓地の一区画にあります。共同墓地には江戸末期、戊辰戦争に参列した仙台藩松山隊士40名の合奏墓と松山隊士を率いた鈴木市郎左衛門隊長のお墓があり、今も大戸浜地区の人々により管理されています。


放水訓練のようす


バケツリレーのようす

東京シシマイコレクション2020プレイベントのお知らせ

 5月11日(土)12日(日)の両日にかけて東京国立博物館にて、福田十二神楽が神楽を披露します。
 これは来年、2020年に開催予定の「東京シシマイコレクション2020」のプレイベントとして行われるものです。このプレイベントは東京文化財研究所、東京国立博物館、日本芸術文化振興会の主催によるもので、岩手県陸前高田市の槻沢虎舞、宮城県女川町の女川の獅子振り、そして福島県からは新地町の福田十二神楽の三団体が出演します。

植松三十里さんの帝国ホテル建築物語が発売されました

 平成29年度の歴史講座の講師をお勤めいただいた植松三十里さんの「帝国ホテル建築物語」が発売されました。

 帝国ホテル建築物語は、帝国ホテルの建築から取り壊しまで、まさに帝国ホテルの生涯が描かれた作品です。登場人物には、福田村(現在の新地町福田地区)出身の遠藤新が登場し、重要なキーマンとして描かれています。郷土の誇る偉人の足跡が丁寧な筆致で描かれています。遠藤以外にもフランク・ロイド・ライトや渋沢栄一、林愛作、帝国ホテル建造を支えた日本の腕の良い職人たちに至るまで、魅力的な人々が描かれた作品です。
 近日(令和元年5月15日予定)新地町図書館でも貸し出しされますので、どうぞご利用ください。

平成30年度歴史講座を開催しました

今年は、民俗学に精通する川島秀一先生を講師にお招きして、平成31年3月2日(土)に平成30年度新地町歴史講座を農村環境改善センター大集会室にて行い、80名を超える来場者が訪れ、大盛況でした。

講座のテーマは「アンバ様の信仰と民俗」。
アンバ信仰は、江戸時代の享保年間よりその記載がみられ、約100年間に渡り流行と鎮静を繰り返し、現在の習俗に定着していき新地町の安波様をふくめ、福島県いわき市から岩手県宮古市まで各地のアンバ様信仰の特徴が紹介されました。

川島先生によれば、もともとの起こりは疱瘡除けの儀礼であり、利根川水系の商人(廻船業者)から漁師へ広がったものと考えられ、新地町の安波神社には、疱瘡除けの神様を奉った「若木大権現」(山形県東根市)と彫られた石碑が、一緒に奉られていることが紹介されました。

 

平成30年度歴史講座を開催します

 新地町郷土史研究会と新地町教育委員会により今年も歴史講座を開催します。
 昨年は歴史作家の植松三十里氏をお迎えし、福田地区出身の遠藤新が関わった帝国ホテルとその建築に関わった人々の物語を講演頂きました。
 今年度は、民俗学に精通する東北大学災害科学国際研究所教授の川島秀一氏を講師にお迎えし、釣師地区に伝わるアンバ様について講演頂きます。

   会 場 新地町農村環境改善センター 大集会室
   日 時 平成31年3月2日(土) 午後1時30分 ~ 午後3時
   演 題 「アンバ様の信仰と民俗 -近世の流行神の展開-」
   講 師 川島秀一 氏
   入場は無料です!!皆さまのご来場をお待ちしております。


                      

~講師プロフィール~

川島 秀一
 東北大学災害科学国際研究所教授/文学博士/民俗学者
 東北大学図書館、気仙沼市図書館、リアスアーク美術館、神奈川大学常民文化研究所を歴任、現在は東北大学災害科学国際研究所教授であり、日本カツオ学会長
 著書には、「海に生きる作法-漁師から学ぶ災害観-」
      「漁労伝承」
      「追い込み漁の民俗学的研究」
      「津波のまちに生きて」   など多数

平成29年度歴史講座が催されました

歴史時代小説家の植松三十里氏をお迎えして、平成29年度歴史講座を開催しました。

来場者は70名を数え、帝国ホテルの企画から完成に至るまで多種にわたる人々が関わり、帝国ホテルはまるで「巨人のような存在」であると結ばれ、聴講者はいずれも感心して聞き入りました。

植松氏は現在、歴史街道(PHP研究所)にて、帝国ホテル建造に携わった林愛作やフランク・ロイド・ライト、建造を支えた職人、そして新地町福田地区出身の大建築家、遠藤新が登場する「果てなき図面」を連載中です。
新地町図書館では、植松三十里コーナーを設け、貸し出し中ですので、こちらもご利用ください。

平成29年度新地町歴史講座を開催します

平成29年度新地町歴史講座を下記の日程で開催致します。

             記
会場 新地町農村環境改善センター 大集会室
日時 平成30年3月18日(日) 
   午後1時30分 ~ 午後3時30分
演題 果てなき図面 ー 帝国ホテルと遠藤新 ー
講師 植松 三十里 氏
入場・聴講ともに無料です。

 今年は、現在「歴史街道」(PHP研究所)にて「果てなき図面ー帝国ホテル建築物語ー」を絶賛連載中の歴史時代小説家、植松三十里(うえまつ・みどり)氏をお迎えしご講演頂きます。
 物語は林愛作をはじめとした帝国ホテル建築に関わる人々の人間模様が描かれています。それら登場人物のなかでも重要な役割の担い手として福田地区出身の遠藤新(えんどう・あらた)が登場します。
 遠藤は福田村(現在の新地町福田地区)に生まれ育ち、仙台第二高等学校を経て、帝国大学建築学部へ進学します。物語では遠藤とライトの出会いも描かれました。

 講演では植松氏の詳細な取材から見えた帝国ホテルに関わった人々についてご講演いただく予定です。こうした人々のなかで遠藤はいかに、帝国ホテルに関わっていたのでしょうか。

 講演は、3月18日(日)午後1時30分から開始予定です。入場・聴講ともに無料ですので、皆さまお誘いあわせ上、ご来場下さい。

H29歴史講座ポスター.pdf

平成28年度新地町歴史講座を開催しました

平成29年2月25日(土)新地町農村環境改善センター大集会室にて、新地町歴史講座を開講致しました。来場者は80名を越え、大盛況でした。

今年度は、演題を「三貫地貝塚の縄文人」とし講師に国立遺伝学研究所集団遺伝学教授の斎藤成也氏をお迎えしました。

講義は、アフリカより生まれた人類が、世界へ拡散し、やがて日本にたどり着く予想経路を紐解き、日本国内の各地域別の多様性、三貫地貝塚の縄文人と現代の地域別日本人を比較する事で、現代人には縄文人のゲノムが20%未満しか伝えられていないという推測が披露されました。

福田十二神楽が出演します

郡山市で行われる「子どもと民俗芸能-担い手としての子どもたち-」で福田十二神楽が出演、演舞披露を行います。

各地域に伝承される民俗芸能の継承問題について、その担い手を子ども達とする事で上手に継承され続けている事例を挙げます。
国立歴史民俗博物館の小嶋美子名誉教授の基調講演を始め、新地町福田地区諏訪神社に継承される「福田十二神楽」の演舞が披露される予定です。

              記

演題 「子どもと民俗芸能-担い手としての子どもたち-」
日時 平成29年2月18日(土) 午後1:00 ~ 午後4:30
会場 郡山市立中央公民館 多目的ホール
    郡山市麓山1-8-4

入場は無料との事です。ご見学してみてはいかがでしょうか。

平成28年度新地町歴史講座を開催します

 平成28年度新地町歴史講座を下記の日程で開催致します。

           記
 会場 新地町農村環境改善センター 大集会室
 日時 平成29年2月25日(
     午後1時30分 ~ 午後3時30分
 演題 三貫地貝塚の縄文人
 講師 斎藤成也(国立遺伝学研究所 教授)
 入場料は無料です。

 昨年は、福島県立博物館の森幸彦氏、福島考古学協会会長の玉川一郎氏を講師にお迎えし、三貫地貝塚の成果とこれからの課題について、ご講演頂きました。
 今年は、国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門の斎藤成也教授を講師にお迎えし、三貫地貝塚の縄文人という演題でご講演頂きます。
 斎藤教授は、現代人の遺伝的近縁関係について、アジアを中心に調査されています。その調査のなかで、東京大学博物館に所蔵されている当町三貫地地区から出土した縄文人骨に目を付けられました。
 長い間、土中に埋まっていた人骨のDNA情報を採取することは難しいとされるなか、斎藤教授は、縄文人骨の奥歯からDNA採取に成功しました。
 この研究成果は、昨年の春先NHKの「サイエンスゼロ」にて紹介されました。また、昨年9月1日には、「縄文人はアジアの古株」という見出しで、新聞各紙に掲載されました。

 果たして、新地町の三貫地貝塚から見つかった縄文人達はどのような遺伝的特徴や現代日本人との共通点ををもっていたのでしょうか。
 講演は、2月25日(土)午後1時30分から開始の予定です。入場は無料です。皆さまお誘い合わせの上、ご来場下さい。

H28ポスター.pdf

くるめがすりの家ミニ講演会

福島民報社主催『くるめがすりの家』ミニ講演会が行われ、
教育総務課文化財担当の佐藤祐太主事が、講師を務めました。



新地町出身で建築家である『遠藤新(えんどうあらた)』が設計した『くるめがすりの家』を
紹介しながら、遠藤氏の建築哲学や古里への思いなどを説明しました。

2016年度 地方文化事業支援助成事業贈呈式

平成28年6月6日(月)公益財団法人東日本鉄道文化財団様から、新地町駒ヶ嶺地区に140年前より伝わる「高田の神楽」に対し、地方文化事業支援として385,000円の助成金が承認され、贈呈式が行われました。

東日本鉄道文化財団では、1993年度より地方文化事業を行っており、特に東日本大震災後は被災した地域の無形民俗文化財の継承や存続の為に、助成事業を行っております。
このたびの贈呈式では、新地町「高田の神楽」をはじめ、相馬市の「下赤木の宝財踊り」南相馬市の「鹿島御子神社の火伏せ」の3団体が承認されました。

承認を受け、高田の神楽保存会では、神楽で着用する衣装の新調を行う予定となっております。
贈呈式(下段左から)「鹿島御子神社の火伏せ祭保存継承実行委員会」
             「下赤木の宝財踊り保存継承実行委員会」
             「新地高田の神楽保存継承実行委員会」
              懸田弘則 氏(各継承実行委員会 委員長)
              太田稔 氏(公益財団法人東日本鉄道文化財団 常務理事)

平成27年度新地町歴史講座を開催します

平成27年度新地町歴史講座を演題を「三貫地貝塚と周辺遺跡」として、お二人の講師をお招きして下記の日程で行います。入場は無料です。皆さまお誘いあわせの上、ご来場下さい。

      記

会 場 新地町農村環境改善センター 視聴覚教室
日 時 平成28年2月28日() 午後1:30~午後4:00
演 題 「三貫地貝塚と周辺遺跡」
      第一部 三貫地貝塚 / 講師 森 幸彦 氏
      第二部 三貫地周辺遺跡と整備 / 講師 玉川 一郎 氏

 第一部の講師、森幸彦氏は、現在福島県立博物館に専門学芸員としてご勤務されております。福島県立博物館に現在収蔵されている、当町三貫地貝塚から出土した縄文人の人骨、シカやイノシシ等の獣骨について御講話頂く予定です。
 第二部の講師、玉川一郎氏は、郡山東高等学校に赴任、校長として勤務されておりました。現在は福島県考古学協会の会長を勤めてらっしゃいます。教師時代、高校の夏期休暇等を利用し、配属先近隣の市町村からの依頼で福島県内各地の遺跡を調査されており、新地町でも調査をされております。三貫地貝塚を取り巻く周囲の遺跡からの発見、これから先の三貫地周辺の活用方法等について、御講話頂く予定です。

ポスター(新地町歴史講座.pdf

第62回文化財防火デーの開催について

毎年1月26日は文化財防火デーです。
文化財防火デーは、昭和24年1月26日に、奈良県法隆寺の金堂及びその壁画が火災により焼失した事から設定されました。
毎年この日を中心として文化財を火災や震災、その他の災害やイタズラから守り、愛護する精神を啓発し続けています。

新地町では、平成28年1月24日(日)、午前9時から午前10時、小川地区の二羽渡神社にて文化財防火訓練を行います。
訓練内容は、
 ①通報
 ②初期消火
 ③消防車による放水
 ④重要物搬送 等を予定しております。

※訓練に伴い、第62回新地町文化財防火デーのお知らせ.docxの通り、付近にて道路の一部が狭くなる箇所がありますので、ご協力をお願い致します。

文化財防火デーポスター.pdf

「ふるさとの祭り2015in南相馬」に高田神楽が出演します!!

福島県内の郷土民俗芸能を披露する「ふるさとの祭り2015」が、南相馬市の南相馬ジャスモールにて、10月31日(土)、11月1日(日)の二日間にわたり行われます。

今年は、県内18団体、山形県より2団体合計20団体が出演します。
新地町からは駒ヶ嶺地区の高田神楽が10月31日(土)10:30分~12:05分のステージにて公演予定です。
詳細なポスターは ふるさとの祭り.pdf をクリック

空から見たさかさいちょう


平成27年7月30日「BS-TBS 新・日本道紀行」のテレビ撮影にて、白幡のいちょう
(さかさいちょう)の空撮が行われました。

中央に白幡のいちょう(さかさいちょう)
中央やや左手奥に鹿狼山

写真は、株式会社ジョブエックス制作センター様からのご厚意で掲載しております。

番組は、
 BS-TBS 「新・日本道紀行」
 9月20日(日)あさ9:30~ 及び
 9月27日(日)あさ9:30~ (予定)
 の2週にわたって、みちのく潮風トレイルの特集が放送されます。龍昌寺をはじめ町内の様子が紹介されるとの事です。
 ※放送内容は変更する場合があります

                                            平成26年11月末 黄葉する白幡のいちょう
                                                       撮影/新地町教育委員会

氏家閑存先生記念碑

  氏家閑存先生記念碑


 平成23年3月11日東日本大震災により生じた津波により観海堂は流失してしまいました。
 写真は当時の観海堂入り口に建立されていた石碑です。
 初代校長になった氏家閑存の死後、閑存を偲んで作成されたこの報恩碑も津波により数m流されていました。
 現在は、駅前開発を待って町の郷土資料倉庫に保管しています。












 学問之道有修己而及人吾友能之者為閑存氏家君君諱顕字子徳称晋閑存其号仙台人弘化四年奉藩命学
 昌平黌旁修長沼氏兵法安政元年帰国擢藩学養賢堂教授兼藩候侍講又設家塾名進修堂門生之多冠一藩
 明治戊辰之乱説南部津軽秋田相馬等諸藩叱奥羽連合之策困為参謀劇戦干小名浜平等各地乱平後歴遊
 京阪及諸国五年為宇多亘理二郡所聘設共立学舎於谷地小屋村而教授名観海堂実為東北郷学之嚆矢六
 年詔遍興小学於海内因以観海堂為小学一従文部省教則亦為県下諸校之魁後使男昭麻呂代教授君則至
 東京為芝私立中学教師又設中州学舎於牛籠而教授十四年帰国為谷地小屋福田駒峰三校長十六年以碩
 学鴻儒文部省特許為修身科訓導二十二年春罹病七月二十七日遂不起年六十二葬宇多郡新地村愛宕山
 君資性温恭篤実一接謦咳如坐春風和気中使人愛慕不能忘其病臥褥猶不廃教授用心之徳如此所著有
 孝経刊誤集註朱氏家訓類抄閑存堂詩文抄配野村氏生男女六人長男昭麻呂先没孫參顕嗣尚幼三男幹摂
 理家政又従事教育頃門人肯謀将建碑報恩請余文日叙其平生係銘日



   明治二十五年六月

       高等師範学校教授従六位 南摩綱紀 撰

       陸軍屯田兵少尉従五位勲四等 伊達邦茂 扁額

                 東京中根図書 広群鶴刻


 氏家閑存先生記念碑(現代語訳)

学問の道とは、己が学び、修め人に与え、及ぼすことです。氏家閑存君は、人に与えることが出来た人です。氏家君は、諱は顕、字は子徳、晋という名前で、号は閑存といい、仙台で生まれました。弘化四年、仙台藩の命令により、昌平黌で学び、その傍ら、長沼氏の兵法を修めました。安政元年仙台藩へ帰り、藩の学校養賢堂の教授兼藩主の先生(侍講)に抜擢されました。又、進修堂と名付けた家塾を設けて、藩内には塾生がたくさんいました。明治戊辰戦争の際、南部、津軽、秋田、相馬などの諸藩をまとめ、奥羽連合の策を練り、小名浜、平など、各地で戦いに参加しました。乱が終わった後、京都、大阪や諸国を歩きました。明治五年に谷地小屋村に共立学校を設立する為に招かれ、教授となりました。観海堂と名付け、東北郷学の嚆矢となりました。明治六年、「全国に小学校を設立する事」という文部省の命令に従い、観海堂を文部省教則に従った小学校として認められ、県下の諸学校のさきがけとなりました。後に、息子昭麻呂を教授代理とし、東京へ出て芝私立中学校の教師となり、又、中州学舎を牛込に設立し教授となりました。明治十四年帰国し、谷地小屋、福田、駒ヶ嶺三校の校長となりました。明治十六年、儒教の大学者であった事から、特別に文部省より修身か訓導の免許を与えられました。明治二十二年春、病に倒れ、七月二十七日、六十二才、遂に帰らぬ人となり、宇多郡新地村愛宕山に葬られました。彼はおだやかでうやうやしく、誠実で、実際に接した人は、春風のおだやかな中にいるような気持ちとなる、忘れることのできない人だと言います。彼が病気の間用いていた布団はいまだ捨てられておらず、彼に対するみんなの気持ちが分かります。彼の著書は、「孝経刊誤」「集註朱子家訓類抄」「閑存堂詩文抄」があり、野村氏が出版しています。彼の子供は男女各6人おります。長男昭麻呂は先に亡くなり孫の參顕はまだ幼いです。三男幹は家政をとりしきり、教育に従事しています。最近門人が報恩碑を建てようと計画し、私は頼まれて彼の平生の様子を語りました。

 明治二十五年六月

          高等師範学校教授従六位   南摩綱紀 撰

          陸軍屯田兵少尉従五位勲四等 伊達邦茂 篆額

          東京中根図書 広群鶴刻